砂で固められて作られた瓶に、延々と砂を入れ続けたらどうなるであろうか。








































「おーおーボッロボロじゃねぇか、二人とも」





声を上げて大笑い。



他に一切音がしていないここで、その声は余りに浮きすぎる。

いきなりどうしてあの店にいるはずの彼女が、ここにいるだとか。

なにゆえどうしてこの状況を、あっさりと受け止めているのかだとか。

唐突に現れて全ての思考を掻っ攫っていった沙羅さん、見上げている私はどうしようも出来なかった。

一方で酷である彼は身動きの取れない状況であるためか、焦りを見せている。

彼女ならば、一瞬で強制帰還させることが出来るだろう。

睨み上げてくる彼を、沙羅さんは見下す。実力差は明らかだ。



「っにしてもてめぇは特に壊滅的だな、腕と翼やられたか。ざまぁみろ」

『だっ、ま、…れ』

「喋ってっと消滅の進行速度が上がるぞ?てめぇこそ黙っとけ」



空間の密度が増した、沙羅さんの念が辺りに立ちこめる。

息が苦しくなったような気がした、実際はちゃんと呼吸は出来ているのだが。

彼女の念は精神的な圧力が凄まじいと、それは前々から分かっていた。

だが、それを身動き一つ出来ない彼が受けて、大丈夫なのだろうか。

黙っとけ、とそう言われた酷は、さらなる拘束を受ける。

目を大きく見開いて完全に固まってしまった、冷や汗も流れ出している。

酷にも汗というものはあるのか、と漠然と思った。



「さて、面倒な状況だ。てめぇら、自分らが【どうなって】んのか分かってんのか?」



私は完全に全身が硬直してしまっているし、酷は体の一部が吹っ飛んでいる。

状況を言ってみればこんな感じだが、どうなっていると訊かれては答えられない。



「ど、どうなってるって、言われても」

「分かんねぇわな、そりゃ。まぁちょっと待っとけ、俺はやらなきゃなんねぇことがあるんで…」



困惑する私の横を通り過ぎ、沙羅さんは迷うことなく酷の前に。

このタイミングで彼に何の用があるのか分からないが、とりあえず彼がなかなかの窮地に陥っているのは判断出来た。

何をされるか、分かったもんじゃない。

まるで酷の様子を楽しむ気満々のご様子で、彼女は一歩一歩近づいた。

何とか後退しようとしていた彼だったが、その願いが叶うことはなく。



『なっ、何だよ、何をッ』



私の方まで冷や汗が出て来た、一体何をするつもりだ彼女は。

相変わらずの笑みが不気味で、恐怖を煽る。

嫌な嫌な、先ほどとは全く違う静寂が続く。

それを勿論、打ち破ったのは沙羅さんで。

そのやり方がまた―――残酷。




















彼の顔面に、彼女のつま先がめり込む。




















手加減をしたと、願いたい。





『がぁっ――――――』

「あぁすっきりした」

「なっ、何やってんですかぁ―――!?」

「調子乗ってやがるから制裁だ。俺に宣戦布告たぁ一億光年早ぇんだよ、糞餓鬼」



骨、そう言えば酷に骨はあるのか。

呆気なく後ろへ吹っ飛び、柱に激突した彼。

片腕をなくしているので残っている手で額を押さえている。

歪んだ顔からは呻き声しか出ない、だが耐えようとすればするほど全身に力が入る。

呻き声から絶叫へと変貌するのにさして時間はかからない。

傷に、明らかに衝撃が響いているだろう。

さらに僅かに残っている翼の傷がもろに、柱からの影響を受ける。

二重にも三重にも痛みが襲っているはずだ。



「ちょ、いいんですかッ、あんなことして!!」

「いいんだよ所詮酷だ、こんなことじゃ死なねぇしな」

「いや、そういう問題じゃなくて」

「後でどうせ回復させてやんだから、今どれだけ瀕死でも関係ねぇんだよ」



それにしても、あんな状態の彼にそこまでする必要はあるのだろうか。

もはや同情するしかない、私では沙羅さんを止められない。

回復させる、と言ったがここまで傷を負った彼でも元通りになるのか。

彼女が言うならばそうしてくれるのだろうけれど、どうも信じられない。

顔を蹴り上げるなんて、どんな神経をしているのだろう。



「星夜、あいつ回収しろ」

「あぁもう、説明する前にこんな状態にしてどうするんですか。ただでさえ【ややこしい】んですよ?」

「知るかボケ、そもそもロクに【自分のこと知らず】突っ込んで行ったのはこいつだ。自業自得」



学校の中から、星夜さんがやってきた。

何だこの妙な光景は、いつからこの学校に堂々とこの二人は出入りしている。

もはやこの学校ですらこの二人の庭―――否、モノなのか。

一度も学校の名前を言ったことはなかったのに、どうしてここだと分かったのだろう。

しかし良く考えてみれば、この二人に何かを隠しておくことなど不可能なのだろうか。

もしかすれば、他にも言っていないことがあるのに二人はそれを知ってるかも。

嫌な予感がしつつ、星夜さんが酷の元へと向かうのを見ていた。

柱に叩きつけられた彼の首を手で掴み、星夜さんは呆気なく持ち上げる。



「あーぁ、悲っ惨な格好ですねぇ。消えないでくださいよぉ?」

『げッ、ほ、がぁ』

「だからあんなことしない方が良いって言ったんですけど、…あっ、聞こえなかったんでしたっけ」



微笑みが、怖い。

発言もなかなか容赦がない、この二人に情けというものは存在していない。

私が彼でなくて良かったと、心底思う。

彼には申し訳ない、果てしなく申し訳ないが、そう思わせてもらう。



「最初に空、てめぇに質問だ。想像力も鍛えてくれねぇと後々応用力がつかねぇからな」

「!!えっあ、はい、何でしょう」

「こいつはどうしてこうなったと思う?」



いきなり問われたので、すぐに反応が出来なかった。

急いで思考を切り替えると、回線がグチャグチャになる。

しかし答えないと私の方にまで火の粉が飛ぶ、急いで口だけを何とか動かした。



「私のせいじゃない、とは思うんですけど…言霊効かなかったし」

「違ぇよそういうことじゃねぇ。根本的な原因訊いてんだ。こいつはどうしてこうなった?」

「根本、的?」



つまり、大元。

そんなことを言われても、あんなことにどうしてなったのかなど分からない。

相手の腕がいきなり吹っ飛んだり、翼が消え去ってしまったり。

ある意味でスプラッタ物だ、血は出ないのだが。


そこでふと、思い出したことがある。


そう言えば、あの時に、違和感を覚えたではないか。

かなりの直感だったが、それくらいしか言えることがなかった。



「……何か、まるで彼が何かに耐えられないように窺えたんですけど」

「おっ、良い線いってる。続けろ」

「彼の中で何かがいきなり発生した、とか?」

「無から有は生まれねぇよ、こいつの中で異常があったわけじゃねぇ」

「ぇ、でも、…私は何も」

「てめぇが何もしてない、と思ってても、影響だけは及ぶってこともある」



影響、つまり私が無意識に彼に影響を与えたと?

余計に訳が分からなくなる、何だその影響というのは。

グルグルと思考回路が堂々巡り。

それを見兼ねた沙羅さんが、ヒントをくれた。





「こいつが破壊された原因はてめぇだが、その【原因が発生した原因】はてめぇじゃねぇんだ」





そう何発も原因と言われると、混乱してくる。

ヒント、でもなかった。余計に思考をグチャグチャにかき混ぜられてしまう。

結局、私は一体何なんだ、彼に対して何もしていないのか。

そんな時、首を掴まれたままの酷が口を挟んだ。

どうやら、彼は沙羅さんの言葉を私よりも理解出来たらしい。

掠れた声になってしまっていたが、それでも彼女に届いた波。



『どういう、こった』

「何もかもの原因は、【酷の特性】にある。ようは糞餓鬼、てめぇの【身体構造上】仕方ないってこったな」



身体、構造上?



えらく複雑な話になってきた、それはもう大元というよりも彼自体の問題なのか。

けれどそうならば、私は関係ないではないか。

私から彼への影響、とは一体何なのか。

酷である彼と一瞬だけ視線を合わせる、だがすぐに互いに逸らした。

全く意味が分からない、本人達が一番理解出来ていないとはどういう事だ。





だがいきなり、沙羅さんが意地の悪そうな笑みを浮かべる。





「いや本当に、てめぇらラッキーだぞ?何てたって、ここに【見本】があんだから」

『「見本?」』





二人揃って聞き返してしまった、何とも微妙。

なぜか一方的に睨み付けられたのだが、どうしてだ。

こちらとしても、別にあんたと合わせたくて合わせたわけじゃない。

心外にも程がある。





「星夜、【解除】すっぞ」

「久しぶりですねぇ、これするのも」





あはは、と声を零した星夜さん。この和やかな雰囲気は何なのだろう。

別に嫌なわけじゃない、嫌なわけじゃないのだが。

どこかに違和感がある。

まるで藁のように脆いもので出来た蓋が、何かを押さえているよう。

少しでも風が吹いたのなら呆気なくそれは吹き飛ばされて、何を隠しているかが分かってしまう。





それを、どこかで知りたくはないと、思ってしまった。















一人の存在が消えて、一匹の酷が現れる。















外見も何も、変わりはしなかった。





『まぁ、こんなもんですか。特に変わらないんですけどね』

『!?な、な、ななななんで、えっ、てめぇ闇影じゃねぇのかよッ!!』

「――――――――ぅっ、そ」





あっさりと変換されてしまった、星夜さんの構成要素。



酷は喚き、私は絶句しかけた。

気付かなかった、あれだけ店に通っていたのに。

彼からは一切、酷の気配などしなかったはずだ。

人間だった、はずだ。

一緒の空間で、闇影として訓練させてもらって、なのに。

存在から、違っていたのか。





「こいつは酷であり闇影だ。唯一、この世界で認められてる異端な存在でもある」





腕を組んだ沙羅さんが、口を開く。

無感情にも無感情過ぎる声色だった、鳥肌が立つ。

今まで聞いてきた怒声の方が何倍もマシだ。

こんな口調の沙羅さんは、嫌だ。



「普段は俺が【体の一部貸してやってる】から人間と変わらねぇんだよ」

『それを解除してしまえば、ただの酷ですよ僕も』

「そんな…」

『酷で闇影って、てめぇ何考えて…!!』

「そこだよ」



酷と闇影は相反している存在だから、相容れることなどないと思っていた。

それは闇影である私からもそうであり、酷である彼からもそのはずだ。

紫の瞳の奥で何かが沸き起こっている酷へ向け、沙羅さんが問うた。

しかしその問いの対象には、私も含まれている。










「どうしてこいつが酷でありながら俺と闇影してるか、ってことだ」










こちら側から訊きたいものだ、それは。

逆に問われてしまって、勿論答えられるはずがない。

私達が口を閉じるしかないことくらい、沙羅さんはすぐに察せる。

軽く息をついて、彼女は視線を私に飛ばしてきた。



「酷には二種類のパターンがある。空、てめぇにはまだ教えてねぇがな」

「二種類?」

「【不特定多数の負の念】で出来たか、【純粋な一種類の負の念】で出来たか、で酷のタイプが分かれんだよ」



継ぎ接ぎの布で出来た酷か、それとも一枚の布で出来た酷か。

瞬間的に思った例えが微妙だったが、イメージ的にはそんな感じなのだろう。

成る程、酷にもそんな分類があるのか。

だが、それに何の関係がある。



「不特定多数で出来た酷ってのは、どんな念でも吸収して自分のものに出来る。たとえ負の念が削がれたとしても、適当に周囲にある負の念を取り込めばいい」

『しかし、純粋な一種類の負の念で出来た酷は、違う』



星夜さんの表情が、変化。

先ほどまでの微笑みでなくなった。顔は変わってはいない、でも違う。

鋭い棘が刺さるような、気。

息がしづらい、どうしてこんな空間に私はいるのだろうか。

涙すら出て来ない、声すら出て来ない。

ただ、彼らの言葉を受け入れるしかなかった。





『他の念は吸収出来ず、ただ【その念だけ】しか身体が受け付けなくなる』





それは、つまり―――――?



「ようは一種類の念しか持ってない酷ってのはその発生源である存在の【傍にいなけりゃなんねぇ】んだよ」

『構成している念がなくなれば、その酷は存在出来ませんからねぇ』

「つまり、離れたくても離れられない状況に追いやられるわけだ。酷の方が」

『どれだけ嫌であろうとも』



嫌悪。



見え隠れした、彼ら二人から。

互いに互いを拒絶するような言い方。

悪寒が駆け巡る、酷もそれを感じてしまったようだ。

瞠目し、言葉を失う。

空気が、何かに侵食されていった。

それを遮る術など、知るはずもなく。

























「星夜は、俺の念で出来た酷。純粋な酷だ」